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愛媛県26箇所のご案内

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観自在寺(愛媛県御荘)

807年(大同2年)、弘法大師が平城天皇の 勅願所として開基したとされ、本尊の薬師如来、脇仏の阿弥陀(あみだ)如来、十一面観世音の3像は、大師が一本の木から作ったと伝えられている。
第一番札所霊山寺から最も遠い場所にあることから「四国霊場の裏関所」と呼ばれる。
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龍光寺(愛媛県三間)

807年(大同2年)、弘法大師が三間平野で出会った、稲を背負った白髪の老人が五穀豊穣(じょう)をつかさどる神の化身と考え、稲荷大明神像を刻んで本尊とした。
明治初期に本堂を稲荷神社として、一段したに寺の本堂が建てられ、寺の本尊は十一面観世音菩薩(ぼさつ)となった。
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仏木寺(愛媛県三間)

807年(大同2)、弘法大師が、牛を引いていた人に勧められて牛の背中に乗り、クスの大樹に宝珠が掛かってるのを見つけ、このクスの木で大日如来像を刻み、建立したと伝えられる。
境内には本堂、不動堂、新大師堂などが並び、かやぶき屋根の鐘楼がある。
牛馬などの家畜の守り神として知られ、本尊が大日如来であることから「大日さん」ともよばれる。
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明石寺(愛媛県宇和)

その昔、若い乙女に化身した千手観音菩薩が、大石をいただいて山にこもり、霊場となった伝わる。
この時、石を山に上げたことから上げ石の名がつき、明石(あげいし)に転化したとされる。
5世紀前半、欽明天皇の勅願によって行者が開創し、734年には別の行者が紀州より熊野権現を勧請して山岳信仰の道場となる。
822年、弘法大師が四国巡礼の際、とどまって再興に貢献したとされる。
中世には国主の西園寺家、江戸時代からは伊達家祈願寺として栄える。
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大宝寺(愛媛県久万)

文武天皇の勅願により701年(大宝元年)に建立され、年号にちなんで名付けられた。用明天皇の在位当時(585−587)、安芸国(広島県)から来た狩人が十一面観音像を見つけ、手持ちの蓑(みの)や笠(かさ)で草庵(そうあん)を作りまつった。
菅生寺と呼ばれて民間信仰の対象となっていたが、大宝寺が建てられると本尊とされた。
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岩屋寺(愛媛県美川)

空を自由に飛び、神通力を持つ女人の法華仙人は、815年に入山した弘法大師に山を献上、大往生を遂げた。
大師は木と石の不動明王を刻み、木像本堂に、石像は洞窟に封じ込めて山全体を本尊とした。
境内には、大師の行場「迫割禅定(せりわりぜんじょう)」、大師が掘ると湧き出た「独鈷(とっこ)の霊水」がある。
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浄瑠璃寺(愛媛県松山)

708年(和銅元年)、行基が奈良・東大寺の大仏開眼に先立って訪れ、薬師如来を安置し開基。
812年(弘仁3年)、弘法大師が薬師瑠璃光如来にちなんで浄瑠璃寺と名付けた。
参道の石段を上ると、正面に本堂右に大師堂、左に弁財天がある。
本堂前にの「仏足石」に自分の足を合わせると健脚、交通安全に利益があるとされる。
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八坂寺(愛媛県松山)

行者・役小角(おずぬ)が開基し、伊予国司の越智玉興が文武天皇の勅願寺として701年(大宝元年)に創建した。伽藍(がらん)を建立するため、8つの坂を切り開いたことから寺号がついた。
荒廃したが、弘法大師が長く滞在して再興したと伝わる。
本尊は秘仏の阿弥陀如来。
平安時代の僧、恵心僧都(えしんそうず)の作といわれ、県指定文化財。
50年に一度しか開帳せず、次回の開帳は2034年。
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西林寺(愛媛県松山)

741年(天平13年)、聖武天皇の勅願により行基が建立。
807年(大同2年)、弘法大師は現在地へ移して再興したと伝わる。
本尊は十一面観世音菩薩。
近くには干ばつに苦しむ民を救うため、弘法大師がつえを突き立てると清水が沸きでたとされる「杖ノ淵(じょうのふち)」があり、「名水100選」にも選ばれ、池には刺身のつまに用いられる水藻のテギレイが自生する。
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浄土寺(愛媛県松山)

天平年間(729−749)に、考謙天皇の勅願ににより、恵明上人が創建。
本尊の釈迦如来は行基の作と伝えられている。
天徳年間(957−961)に、空也が訪れ、3年間、滞在した。
自分で彫ったといわれる重要文化財の「空也上人立像」がある。
寄せ木造りで、かねをたたきながら「南無阿弥陀仏」を唱え、遍歴する姿で、口からは六字の名号が仏となって現れている。
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繁多寺(愛媛県松山)

天平勝宝年間(749−757)に考謙天皇の勅願で行基が開設。
薬師如来が本尊。
各地を行脚した時宗の開祖で松山出身の一遍上人(1239−1289)も一時滞在した。
江戸時代には徳川家の帰依を得て、本堂の左側の聖天堂におは四代将軍家家綱の念持仏の一体、歓喜天がまつられている。
盛時には末寺が120あったと伝わる。
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石手寺(愛媛県松山)

728年(神亀5)、聖武天皇の勅願により、伊予の大守越智玉純が創建したと言われる。
当初は安養寺と呼ばれていた。本尊は行基が開眼した薬師如来。
国宝の仁王門や重要文化財の本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼のほか、境内にはたくさんの堂がある。
東側山頂に立つ高さ16メートルの大師像は、1984年に建立されたもので、遠くからも望める。

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太山寺(愛媛県松山)

6世紀、豊後の国の商人真野長者が瀬戸内海を航行中、松山市沖で嵐に遭い、観音様に祈りを込めると、山の頂上から一筋の光が夜の海を照らし、船は無事に高浜の岸にたどり着いたことから、報恩に開基したと伝わる。
本尊は九一面観世音菩薩(ぼさつ)像。
鎌倉時代に和、唐、天竺(てんじく)の様式で再建された本堂は国宝。
夢殿には聖徳太子がまつられ、毎年1月15日には太子祭も営まれる。
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円明寺(愛媛県松山)

円明寺は聖武天皇の勅願により、天平年間(729−49)、行基を開祖に創建されたと伝わる。
兵火により荒廃し、1633年(寛永10)、地元の豪族・須賀重久が現在地に再建した。
本堂内には左甚五郎の作とされる竜の彫り物があり、境内にはキリシタン石塔が安置されている。
同寺から少し離れた大川に「遍路橋」と呼ばれる橋がある。
遍路橋は、松山市内にはこのほか、51番・石手寺の近くなど2ヶ所がある。
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延命寺(愛媛県今治)

奈良時代、行基が不動明王を刻み、近見山の山頂に寺をたてて安置したのが始まりとされる。
平安時代に嵯峨天皇の 勅願を受けて訪れた弘法大師が修行し、円明寺として54番札所に定められた。
以後、数回の戦火に遭い1727年、近見山から現在地へ。
明治初期、寺名も53番円明寺と同じだったため、延命寺と改名した。
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南光坊(愛媛県今治)

88箇所で唯一坊のつく寺。
今治市沖の大三島にある大山祇(おおやまつみ)神社の境内にあったが、船でおまいりしなければならない不便さから712年(和銅5年)に現在地に分社して建立した。
戦国時代の兵火と第二次大戦の空襲で大師堂と金毘羅堂を除いて焼失。
再建された本堂は鉄筋コンクリート造り。
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奉山寺(愛媛県今治)

淳和天皇の勅願所。
815年(弘仁6年)、弘法大師がこの地を訪れた時、蒼社川が長引く梅雨のために氾濫をおこし、地元の農民が苦しんでいることを聞き、堤防を築造。
さらに土砂加持の秘法を7日間修行し、満願の日に本尊地蔵菩薩(ぼさつ)を感得し、祈願成就をはたした。
本尊をまつるために寺を建立したとされる。
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栄福寺(愛媛県玉川)

嵯峨天皇の勅願によって弘法大師が開基。
大師が周辺の海で多発する事故を憂い、府頭山の山頂で安全を祈願したところ、満願の日に阿弥陀如来が現れ、本尊としてまつったとされ、海運業に携わる人たちの信仰が厚い。
その後、境内に社殿設けられ、神仏混同の石清水八幡宮を創建。
後の神仏分離令で社殿は近くに移転された。
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仙遊寺(愛媛県玉川)

天智天皇(661−671)の勅令により、伊予の国主・越智守興が建立。
本尊の千手観世音菩薩は、海から上がった竜女が、一刀三礼して彫り上げたと伝えられている。
弘仁年間(810−824)弘法大師が訪れ、荒れていた寺を再興したという。
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国分寺(愛媛県今治)

741年(天平13年)に聖武天皇の勅願で行基が建立。
藤原純友の乱(939年)など戦火で4度焼失した。
現在の本堂18世紀末の建立。
創建当時の国分寺は現在の場所から150メートル東にあり、七重塔の礎石13個が残る。
「伊予国国分寺塔跡」として国指定史跡。
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横峰寺(愛媛県小松)

修験道の開祖、役小角が651年に開祖したとされる。
弘法大師が、シャクナゲの木に刻んだ大日如来坐像が本尊として安置されており、愛媛県有形文化財に指定されている。
石鎚山の北側中腹(標高約750メートル)にあり、四国霊場では3番目の高所。
悪いことをした人、邪心を持ってる人は、弘法大師のおとがめを受け、ここから先へは進めなくなると言われる関所でもある。
5月上旬から中旬にかけて、境内一面に咲く薄桃色のシャクナゲの花は、参拝者の心を和ませてくれる。
冬場は雪が積もり道路が凍結するため、通行禁止になる。
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香園寺(愛媛県小松)

聖徳太子が創建し、本尊は大日如来。
1976年に本堂と大師堂を兼ねた鉄筋コンクリート3階建ての聖堂を建立。
大同年間(806−810)に弘法大師が訪れ、寺の近くで苦しんでいた妊婦に祈とうし、無事男児を出産させたと伝えられる。
境内には赤子を抱いた子安大師像があり「子安大師さん」として親しまれてる。
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宝寿寺(愛媛県小松)

天平年間(729−749)、聖武天皇の勅願により伊予一国一宮の法楽所として中山川下流の白坪(しらつぼ)に創建され、僧道慈に金光明最勝王経を購読させた。
その後、弘法大師が修行で長くとどまり、国司・越智氏の妻の難産を助けた言い伝えから、安産の信仰を集める。
本尊は十一面観世音菩薩(ぼさつ)。
移転と再建を繰り返し、1921年に現在地へ。

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吉祥寺(愛媛県西条)

弘仁年間(810−824)、弘法大師が坂元山に建立。
天正13年(1585年)、秀吉の四国攻めで全山焼失し、万治2年(1659年)、末寺の檜木寺と合併、現在地に再興された。
本尊は四国霊場唯一の毘沙門天(びしゃもんてん)で、60年に一度開帳される。
秘仏としてマリア観音像がある。
「成就石」と呼ばれる丸い穴の空いた石は有名で、目を閉じて願い事を念じながら、杖を前につきだして進み、穴に入れば願いがかなうと云えられる。
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前神寺(愛媛県西条)

役小角(えんのおづぬ)が修行道場として675年、石鎚山中腹に開基。
その後、桓武天皇がふもとに金色院前神寺を建立し、霊場となった。1871年(明治4年)も廃仏毀釈でともに廃されたが、ふもとの寺は直後に現在地に再建され、里前神寺と呼ばれる。
中腹の寺もその後再建され、奥前神寺と呼ばれる。里前神寺には本堂、大師堂、お滝不動、権現堂などがある。
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三角寺

天平年間(729−749年)に、桓武天皇の勅願で僧の行基が開基したとされる。
815年、弘法大師が42歳の時に訪れ、十一面観音菩薩を彫り本尊として安置。
さらに三角の護摩壇を築いて、21日間の秘法を修行したことから三角寺と言われるようになった。
観音菩薩像は愛媛県指定文化財で、安産や子育ての仏様として知られる。
開帳は60年に一度で、次は2044年。
境内には護摩壇の跡が残る三角(みすみ)の池があり、1795年に訪れた俳人小林一茶が、山桜に感嘆して詠んだ「これでこそ 登りかいあり 山桜」の句碑も建立されている。
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